2016年5月25日水曜日

キース・ニューステッド作 Automata "A Brassy Mermaid"


キース・ニューステッドさん(Keith Newstead)が1996年に制作したオートマタ

"A Brassy Mermaid" (真鍮の人魚)
                                  ©Keith Newstead

多くの部品が真ちゅうで制作されピカピカに輝いていた人魚も年月とともに赤茶け趣が感じられる作品になってきました。
この人魚をみていると、学生時代に観たロン・ハワード監督の人魚と青年が恋をするロマンティック・ファンタジー映画を思い出します。
ロマンティック・ファンタジーなのですが、どこか人魚の姿を通し孤独で寂しげな私たちの心の奥底に感じる不安さを写しているように見えます。


「我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し。」
『往生要集』源信僧都(942-1017)
 
この言葉は、最も厭(いと)うべき世界として説かれる「阿鼻(あび)地獄」に出てくるものです。「阿鼻」とは、「無間」という意味ですが、絶え間なく苦しみを受けなければならないという、地獄でも最下底に位置する世界です。ここの住人は、他の地獄の住人があたかも天での生活を楽しんでいるかのようにさえ見えると言います。冒頭の言葉は、この「阿鼻地獄」に堕ちていくときに、罪人が泣き叫びながら詠む詩とされています。

私は今、もはや帰るべき場所もない。たった一人で、友も無く、地獄に堕ちていくのです。

地獄とは、自らの欲望ばかりを優先させて生きてきた者が堕ちていく世界です。他者を傷つけても痛みを感じることが無い者が、終には堕ちていく世界です。人間は元来、多くのものと共に在り、支え合いながら生きています。しかし、このような当たり前のことを無視し、共に在ることを見失った者は、一人、孤独の世界に堕ちていかなければなりません。友も無く、永遠の孤独に満ちた世界で、長い長い地獄の苦しみを背負っていかなければならないのです。
『往生要集』に説かれる地獄の凄惨な様子は、読む者を底知れない恐怖に陥れていきます。地獄を、自分とは別の世界として客観視できない気分になってしまいます。それは、地獄が、実は私たちの世界の穢れたあり様の行く末を映し出す鏡となっているからです。時には、自分自身の日頃の生き方を反省的に照らし出し、深い恐怖に覆われてしまうこともあります。
『往生要集』は、実はそのような効果を狙った書物です。源信はそれによって、穢れた世界を離れ、浄らかな世界を求めるよう、多くの人々に説いてきたのです。
                                                  大谷大学「きょうのことば」より
 



2016年5月5日木曜日

詩集『金魚』 あとがき

 
長女はもうじき13歳、一番下の娘は一歳と3カ月。四人の子を育てさせてもらって、本当にいただくものの多かったことを思わされます。

 子どもたちの自由自在な、やること、言うことは、自分がいかにワンパターンでおていさい屋であるかということを思い知らせてくれます。

 「お母さんたちって、おせじばかり言い合ってるね」と言わたときも「そういうつもりじゃなかったけれど、そのとうりだなあ」と襟を正された気持でした。

 長女が小学校六年間に書いた毎日の『生活ノート』(連絡帳)はもう二十冊ほどになります。その中で、子どもといえどもおとなが引きつけられるような深い考え方やスッキリした考え方をしていたり、表現がユニークでおもしろかったりするので、選んではノートに写しておりました。

 家庭内のことをあからさまにするようで気が引けるのですが、一部の有縁の方々にだけでも、一緒に読んでいただきたい気がいたしましたので、長女の小学校卒業を機にまとめてみました。もちろん娘の許可はとってあります。
一九八九年(平成元年)三月 村上美佐尾

詩集『金魚』より